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城跡めぐり16−13 喜屋武城跡 うるま市仲嶺
喜屋武マーブ公園に隣接した城址である。北東部の駐車場に止め、公園の展望台を目指す。きれいに石積みされた公園だが、城跡は西、南側に分布しているようだ。
喜屋武グスクは、別名、喜屋武マーブ、仲嶺マーブまたは、火打嶺ともいわれていますが、地元では「喜屋武マーブ」と呼んだ方がなじみ深いです。標高が高くおよそ110mの台地に位置しています。
言い伝えによると、初代安慶名大川按司の四男喜屋武按司が築城し、その子孫三代の居城で、その後廃城になったといわれています。また、勝連グスクの阿麻和利を討伐した鬼大城賢雄が幼少時代を過ごした城ともいわれています。
喜屋武グスクは、むかし火立があったところでもあります。首里王府は、県内各地の要所に遠見番を置き海上を見張らせ、御冠船、進貢船、薩摩船の入港を首里王府に通報する烽火台を設置していました。うるま市では、宮城島、平安座島、平敷屋、喜屋武グスクにあり、これにより、本グスクは「火打ち城」とも呼ばれています。 グスクの石垣は、喜屋武・仲嶺集落の道路工事の際に取り壊し、集落内で使用されました。また、1931年(昭和6年)頃の県道川田・赤道線の道路工事用石材として一部破壊し、使用されるなど石材として利用されたため現存していません。
現在の喜屋武城跡は、「喜屋武マーブ公園整備事業」により、広場、バスケットコート、テニスコート等の設置、園路整備、遊具施設等の整備、展望台が設置されるなど、「喜屋武マーブ公園」として市民の憩いの場となっています。 うるま市教育委員会
日時 2016年04月30日 23:30 |
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