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城跡めぐり16−7 玉城城跡:南城市
この城は、別名アマツヅ城とも称され、築城年代や歴代の城主についてはさだかでない。「島尻郡誌」では、「アマミキヨが築いた城であるとの伝説があって、城主は、アマモキヨの子孫即ち、天孫子であったと伝う」と記述している。 城跡は、一の郭、二の郭、三の郭からなる段階状の山城で天然の要害の地に築かれている。城壁は、一の郭のみよく原型をとどめていて、二の郭と三の郭の城壁は、戦後、米軍基地建設の骨材として持ち去られ、現在根石がかろうじて残っているにすぎない。 一の郭は、東北東に自然岩をくり抜いた城門を構え、城内には「天つぎあまつぎの御嶽」(神名「アガル御イペ、ツレル御イペ」)が祀られている。 昭和60年3月25日 玉城村教育委員会 沖縄県教育委員会
県指定 史跡 指定年月日 昭和36年6月15日 所在地 字玉城門原444番地443番地の2 面積 21,811u
日時 2016年04月20日 23:52 |
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城跡めぐり16−6 ミントン城跡:南城市
仲村渠集落の近くの垣花城跡の南200mほどの民家の中にあるグスク。事前調査で知念家の駐車場を借用(無断)し、拝観料を収めて、見学させていただく。
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日時 2016年04月20日 23:51 |
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垣花・仲村渠樋川:南城市
垣花樋川(かきのはなヒージャー)(俗称 シチャンカー) 天然の美しい川や泉を保全して後世に伝えるという目的で推薦され、昭和60年に環境庁の全国名水百選に選ばれた。百選の中でも最初は全国で31件が選ばれこれに入仲村渠樋川選した。垣花樋川は集落の南側にあって、石畳の急な坂道を100メートルほど降りていくと、左側にうっそうと繁った林の中腹岩根から湧水が湧き出ている。 かっては左側上のイナグンガー(女の川)は女が使い、右側下のイキガンガー(男の川)は男が使っていた。その下流の浅い水たまりはンマミシガー(馬浴川)、全体をまとめてシチャンカー(下の川)と呼ばれ、樋川から流れた水は下の田をうるおし、稲作がさかんであった。垣花村の人々はシチャンカーで水浴び、洗濯、野菜洗い、水汲みをするためカービラ(川の坂)を行き来した。石畳道の途中には女たちが一息いれたナカユクイイシ(中休み石)、イーユクイイシヌヒライサー(上休み石の平石)が残っている。 現在は、簡易水道として地域の飲料水等の生活用水や農業用水として利用されている。 平成18年1月 南城市玉城字垣花
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日時 2016年04月20日 23:50 |
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城跡めぐり16−5 垣花城跡:南城市
この城跡は、一の郭と二の郭からなり、垂直に近い野面積みの城壁を有している。城内の最も高い所に立つと、太平洋を眼下に、南の低地に百名、仲村渠の各集落、北に垣花を眺望することが出来る。城の歴史については、記録や伝承がなく不明である。二つの郭には、それぞれ小面積の平場が確認され、現在では、アワダシ、クロユナ、ツゲモドキ等の熱帯樹が繁茂している。一の郭の奥には、御嶽があり、「琉球国由来記」によると神名「アフィハナテルツカサノ御イペ」と記されている。 この城跡の周辺には、東に志喜屋グスク、南にミントングスク、西に玉城城跡が点在する。 昭和60年3月25日 玉城村教育委員会 沖縄県教育委員会 県指定 史跡 指定年月日 昭和36年6月15日 所在地 字垣花和名盤1番地、2番地の1 面積 8,668u
日時 2016年04月20日 23:49 |
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城跡めぐり16−4 知念城跡:南城市
知念城跡は、ミーグスク(新城)とクーグスク(古城)とよばれる二つの郭からできています。クーグスクは古い野面積みで囲まれ、一番高い岩山の上に立地しています。ミーグスクは、二つの門徒石垣で囲まれた郭です。正門を入ると、「火の神」が祀られている祠がみえ、さらにその奥には「友利御嶽」があります。友利(ともり)とは「名高く尊い」という意味があります。 知念城跡内には、1761年から1903年に至るまでの間、知念番所(問切の役所)がおかれました。現在の火の神は、番所が移動した後に地域の人々が祠をつくり、祀ったものです。 この御嶽や火の神には、地元だけでなく、県内全域から参拝客も多く訪れ、東御廻りの拝所となっています。 知念城跡では、現在史跡整備事業を進めており、それに伴う調査で18世紀を中心としたさまざまな資料が確認されています。 昭和47年5月15日指定 沖縄県南城市教育委員会
日時 2016年04月20日 23:34 |
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城跡めぐり16−3 佐敷グスク:南城市
佐敷グスクは、三山を統一した尚巴志とその父尚思紹の居城跡といわれています。1979年の発掘調査によって、 青磁・白磁のお椀や皿、土器、石器、鉄釘や小銭などが出土しました。また、柱の穴のあとや土留めの石積みも確認されましたが、沖縄各地のグスクにみられるような石垣はまだまだ、発見されていません。 さかえる町しぜんの町きぼうの町 佐敷町教育委員会
日時 2016年04月20日 23:24 |
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城跡めぐり16−2 島添大里グスク:南城市大里
史跡はおよそ東西200m、南北100m、面積が20,000u以上もあって、県内でも有数の規模を誇るグスクです。 グスクの北側、台地縁の断崖を背にして一の郭、そこから南東方向へ二の郭、三の郭と放射状に広がっています。グスクの中心部である一の郭は、一段高く基壇上に造成された正殿跡と、その前面に御庭と考えられる平場から構成されています。過去の交差によって建物の柱を支えるための礎石が数箇所から確認され、島添大里按司の住居である正殿規模は約22m×13mもあり、幾度も改築が行われたと考えられています。場内には一の郭を囲む城壁のほか、数箇所に城壁が残っており、さらに発掘調査によって、採石を免れた城壁の基礎部分が地中より確認されています。 出土遺物には、土器やカムィヤキ・中国正陶磁器・盗難アジア製陶磁器・日本製陶磁器・鉄器・石器・装飾品・古銭・自然遺物などが多くの文ものがみられ、往時の繁栄ぶりが窺えます。 平成21年2月24日 沖縄県南城市教育委員会
日時 2016年04月20日 23:09 |
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